
新たな写真掲載、追跡調査実施
(2003.5.2)
追跡調査実施しました。 こちら (2003.5.12)
三柱鳥居の謎を追い続けはや3年。新たな発見報告もあり全国で唯一京都太秦の『蚕の社』だけであった「三柱鳥居」も今は、八 基(現存七基)確認されている。しかしその存在理由については、幾多の説はあるにせよ未だ解明されていない。その後、引き続き追跡調査を行っているが現在までに判っている事を報告したい。
まずは、現状で判っている全所在地とその容姿を紹介する。
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『木嶋社(蚕の社)』(京都市右京区太秦) 詳細 蚕の社 |
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『諏訪神社 蛭子社』 (長崎県西山町)現存せず |
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『三囲神社』(東京都墨田区向島) |
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『和多都美神社』(長崎県対馬) 写真提供(C)学研 ムー編集部 |
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『大神教会』(奈良県桜井市) |
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『穂積三柱鳥居』(岐阜県武儀郡洞戸村) 写真提供 (C)岐阜市 笠原様 |
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『大和三柱鳥居』(岐阜県郡上郡大和町) 写真提供 (C)名古屋市 前島様
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『神山三柱鳥居』(徳島県名西郡神山町 神山スキーランド内) 写真提供 (C)KEIJU様 掲載 サイトはこちら |
京都市右京区太秦にある「木嶋社」の摂社『養蚕神社』(通称 蚕の社)は、そもそも地場産業でもある機織の神様を奉るが、三井家は創業以来より常にこの社を信仰して来ていた事実がある。正徳三年(1713)当時荒廃していた木嶋社を再興し祈祷所としたが「越後屋」という名で呉服商を家業としていた三井家がこの神社を祈祷所とした理由も頷ける。
三井家では、先祖の死後百年経過すると全て神として崇める慣わしがあり、安永九年(1780)境内に三井家先祖の霊を奉る『顕名霊社』を勧請し歴代の御霊を合祀した経緯があり、三井家との関わりは深い。『顕名霊社』は、移転移築を繰り返し京都と東京に分霊され悲運な経緯を持つが、以下関連項目のみ年代順に記述する。
三井家と縁故社関係 略歴
(京都、東京別々に祭祀されていた関係で判りにくいので水色は京都.緑は東京での経緯を記述している。年代順を優先した配慮の為ご了承願いたい)
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正徳三年(1713) |
木嶋社再興(新町家台所 江尾市兵衛を「神服(はっとり)日向守宗夷」と改名させ神職に遣わせる。 |
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享保元年(1716) |
江戸 三囲神社(東京墨田区向島) 社殿造営 |
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宝暦三年(1753) |
神職 神部氏の内祭殿に三井家遠祖3代の御霊を『顕名霊社』として勧請 |
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安永九年(1780) |
『顕名霊社』社殿 木嶋社境内に創建 |
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明治四年(1871) |
神職世襲禁止令により社殿を北家本邸内へ遷座を余儀なくされる。 |
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明治五年(1872) |
東京大元方設置。三井事業の統括本部を京都より東京へ移す。 |
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明治七年 (1874) |
三井下邸(東京扇橋)江東区深川に、「顕名霊奉安殿」を建造。御霊代を遷座。 御霊璽は、京都 北家本邸に残す。 |
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明治十年 (1877) |
教部省廃止に伴い神職世襲禁止令が緩和され再び木嶋社へ遷祀。社殿を新造。 |
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明治二十一年(1888) |
扇橋下邸より麹町千代田区へ移転、『顕名霊社』社殿と三柱鳥居を造営 |
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明治三十九年(1906) |
北家新邸 新築(麻布区今井町)港区六本木二丁目に伴い霊社も遷宮 |
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明治四十二年(1909) |
京都下鴨神社近くへ木嶋社の『顕名霊社』を遷宮。 |
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大正十一年(1922) |
『顕名霊社』改築工事完成。遷座式挙行。北家別邸として下鴨に新築。 |
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昭和二十年(1945) |
北邸 空襲により全焼。『顕名霊社』は、災を免れる。その後、港区西麻布に新築移転 |
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昭和二十三年(1948) |
下鴨別邸敷地を京都地方裁判所に譲渡。『顕名霊社』は、再び北家本邸へ移される。 |
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昭和三十三年(1958) |
京都北家本邸処分を期に、『顕名霊社』の御霊璽を京都から東京へ遷座 |
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平成五年(1993) |
北邸 十一代当主逝去に伴い、相続税の物納対象物件となり取り壊しを余儀なくされる。 |
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平成六年(1994) |
三囲神社(東京墨田区向島)に『「顕名神社』創建 遷座式挙行。庭園にあった三柱鳥居も同社へ移築 |
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三井北邸(港区西麻布)庭園にあった三柱鳥居 |
北斎漫画 11集より 三才鳥居 |
三井家が東京に進出し今の千代田区麹町三番町に邸を構えた時、一緒に『顕名霊社』社殿と三柱鳥居を造営 した事は、年表のとおりでその後度重なる移転に伴い現在の三囲神社に落ち着つく。従ってもともと木嶋社にあった三柱鳥居を模倣し東京に造営したものと考えられる。木嶋社の由緒によると現在の三柱鳥居は、享保年間(1716〜1735)に修復されたとありこの年代は、荒廃していた木嶋社を三井家が祈祷所として再興した時期と重なるので、三柱鳥居は、三井家が造営し木嶋社へ寄贈したものである事はどうやら間違えないだろう。
さて、その後の追跡調査でなんと!三柱鳥居をスケッチした絵が存在していたのだ。それは、葛飾北斎著「北斎漫画」十一集「三才鳥居」という呼称で、その容姿が描かれていた。実に写実的な明神型で、根巻が8角形。貫の端には装飾が施されているのも判る。だがちょっと待って欲しい。今見られる鳥居とはあきらかに違うではないか?どう見ても「木製」に見える。由緒にある現代の鳥居は享保年間に修復されたものとあるがあきらかに違う物である。
ここで、新たにその疑問を解決してくれる証拠が見つかった。『都名所図絵』という物をご存じだろうか。安永9年(1780)に出版されたこの書物は、京都の各名所を写実的にスケッチしたものを編纂した書物である。この書物の中に「木嶋社」というスケッチがある。そこには、はっきりと三柱鳥居が描かれ中央には、御幣も書き込まれている。(図版準備中)一番着目して頂きたいのは、その容姿である。よく見ると北斎漫画(前述)に描かれているスケッチと同じ物であることが判る。また、この説明書きの本文には、以下のような気になる記述がある。
中に三ッ組み合わせの木柱の鳥居あり。老人の安座する姿を表せしとぞ。当所 社司の説
ここで木柱であった事に着目して欲しい。木嶋社の由緒では、現在の三柱鳥居は、享保年間に修復されたものとあるが現在見る事が出来る物は石製である。都名所図絵が世に出されたのが安永九年(1780)であること。北斎が描いた容姿も同じ物に見えるので、どうやら今に見る事が出来るものは後に石製に建替えられたものである事は間違えなさそうである。これを裏付ける事実として「鳥居の研究/根岸栄隆 厚生閣 1943」の三柱鳥居の記述に今の物は、天保二年(1831)に建て替えられたとの情報もある。それが事実なのであれば、現存の鳥居は、二度目に立て替えられたものという事になり、木嶋社の由緒や幾多の紹介記事は正確ではなかった事が判明した。確かに、石製の鳥居は、目新しく感じていたのは否めず疑問は当初より抱いていた。
これらを裏付ける事実が判明しました。
追跡調査実施しました。 こちら (2003.5.12)
ようやく疑念は解決したと思ったが、木嶋社の由緒書きを改めて確認して気づいた事がある。木嶋社 由緒書き「三柱鳥居」の項に
「創立年月は、不詳であるが現存の鳥居は享保年間(260年前)に修復された物である。」
と、ある。前述の結論では、「現存の鳥居」の記述を「今我々が見ている鳥居」である。と思いこんでいただけで実際は天保2年に建て替えられた物であった事が判った。由緒を語り継ぐ際二度目に建て替えた記述が抜けていたのだろう。さて、ここで冒頭の創立年月は不明と、言う部分に着目願いたい。享保年間に、三井家が木嶋社再興の際三柱鳥居を建造し寄贈したのは、再三述べたがではそれ以前にも模倣したと思われるオリジナルが存在していたのであろうか?また修復したものであるならば、当然オリジナルがあるはずである。改めて以下の問題提起をしたい。
ここらは、由緒、文献にも深く言及されておらず幾多の諸説も決定打にかける。また、俗に言われる秦氏=三井家=景教徒説との因果関係にも、説得力に欠けるが少なくとも木嶋社の建立と秦氏が深く関わっていること。地場産業「機織」の技術を広めたのも彼らの貢献である事は、疑いようがない。またなぜ二度までも三井家が同鳥居を立て替え自宅庭園にまで置いたのだろう。そう考えると、やはり因果関係は否定出来ずそもそも同鳥居の出所が不確かなのも謎であり、ますます混迷してきた。まずは、引き続き三井関連縁の調査を続行してゆくつもりである。また新たな進展があれば、追ってここ紹介してゆきたい。
以前の記述では、三井家との関わりを否定した結論ではあったが新たな疑問が沸き否定が出来なくなった。続けて調査を継続してゆきたい。
参考:「三囲神社」がなぜ三井家の信仰を持たれるようになったのか?
京都より進出した折、江戸の名声でここが雨乞いの霊験で尊ばれていた。(参考) 三囲神社
当時の越後屋の所在地からちょうどこの社が鬼門の位置にあった。
三囲の「囲」に井戸が使われており「三井」に通じる。
関連情報募集中!
大阪府 寝屋川市にも「太秦」の地名があり、「秦の河勝」の墓もあるそうで非常に興味があり是非追って追跡調査を実施したい。あわせて関連情報をお持ちの方がいましたら是非情報提供をお願いします。 情報連絡先:超歴史研 広報部 鈴木 宛て
参考文献:
三井の縁故社寺/(株)経済界(1995)
鳥居/東京美術選書(1987)
北斎漫画 3/岩崎美術(1987)
三囲神社と常泉寺の石碑/法大史跡研究会(1965)
三井邸移築工事報告書/江戸東京たてもの園
失われたイエスの12使徒「八咫烏」の謎/学研(2001)
鳥居の研究/根岸栄隆 厚生閣 1943
都名所図絵/秋里籬島 角川書店 1976
(C)T.suzuki@超歴史研究会
●このページの掲載写真((C)のあるもの)は、ご好意でお借りしているものですので無断転載はご遠慮ください。
更新履歴 2002.2.12(UP) 5.10/12 本文修正、追記