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謎の隧道遺跡『トンカラリン』

     謎の隧道遺跡「トンカラリン」      (熊本県菊水町)   

佐賀・熊本の鳥居取材の折、かねてから気になっていた「トンカラリン」と呼ばれている隧道(ずいどう=トンネル)状遺構を見てきました。
場所は熊本県菊水町。菊水ロマン館という施設を中心にした清原(せいばる)古墳群遺跡公園の道路を挟んだ住宅地と畑の地下にそれはありました。
名前の由来は石を投げたときに聞こえる音とか韓国語や中国語からきているという説があります。水路説・抜け穴説・祭祀場説・天体観測施設説など諸説あるこの遺構、近くにある
江田船山古墳・虚空蔵塚(こくうぞうづか)古墳・塚坊主(つかぼうず)古墳等に匹敵する規模
(全長445.6m←観光案内板より、諸説有り)にもかかわらず、ずいぶんぞんざいな扱いで、まともな案内はありません。
ガイドブックでも触れられることが少なく、学術的にも無視されているようです。
観光ルートにもなっていないようで、うっちゃられています。トンネル状になっている個所は三つあり、溝状の通路で結ばれています。以前は繋がっていたものが、天井が抜けて地表に現れたのかもしれません。

※見学するには、這うところもあるので動きやすく汚れてもよい服装と軍手と、落石が心配されるのでヘルメット(無ければ帽子)と、照明がなくて奥は真っ暗なのでヘッドランプ(無ければ懐中電灯)と、雨後の場合は浸水しているところがあるので長靴が要ります。確かに観光向きではありません(^^;

 江田船山古墳 虚空蔵塚(こくうぞうづか)古墳 塚坊主(つかぼうず)古墳

近くにある古墳群 (左から 江田船山古墳・虚空蔵塚(こくうぞうづか)古墳・塚坊主(つかぼうず)古墳)

入り口 入り口から中を覗いたところ 中から入り口を見たところ

さて、一つ目の隧道。高さ70cm、幅50cmといったところでしょうか。段差があり、下に降りる格好になります。中は高さ1mくらいでまだ立てます。

先に進もうとすると2mもいかないうちに7段の階段に行き当たり、そこから先は70センチ四方のダクトのような通路が続いており、先が見えません。怖くなって引き返しました。←ヘタレですね。

     階段から続く通路
 

二つ目の入り口        天井

二つ目の隧道
幅は前より狭い(50cmくらい)ものの天井が高く(3mくらい)、うねってはいますが10数m先に出口の明かりが見えますので比較的楽に通り抜けられます。
壁は石組みではなく剥き出しの土壁。床は土嚢が並べあることから察するに敷石はないものと思われます。上を見ると石が並べられていました。

 

三つ目の入り口

 

 

三つ目の隧道。
二つ目よりさらに天井が高くなっています。
S字カーブがずっと続いており、まったく先が見通せません。進むうちに入り口からの光も届かなくなり、真っ暗になります。それでもヘッドランプの明かりを頼りにずいぶん進んだのですが、また天井が低くなってきたので怖くなって引き返しました。←ヘタレ

帰って調べたらこれらの前後にもいくつか遺構があったようなのですが見逃してしまいました。事前調査の少なさが悔やまれます。地元の人にも聞いてはみたのですが、「伝承が一切残っていない」というのは本当のようで、何も知らない様子でした。

新しい発見はありませんでしたが、潜ってみてわかったことは、少なくとも排水施設ではないということ。排水施設に階段は不要ですし、天井が高すぎたり低すぎたり蛇行が多かったり土壁だったりと水道施設にはそぐわない構造が多々見られました。同じ理由で抜け穴としても不適当だと思います。

以下は私の推測ですが、天井の高さの極端なギャップ(目測70cm〜7m)から考える、トンカラリンは最初からあった地割れを利用して古代人が作った祭祀場だと思います。一つ目の隧道には見事な石組みが見られるのに、二つ目・三つ目の壁が剥き出しのままなのも、最初から明確な設計思想があったわけではなく、もとからあった地形を利用したものだとしたら得心がいきます。地割れに大地のエネルギーを感じ畏怖した古代人が地の神を奉ったのではないかと私は考えています。

正体が何にしろ、「あぁ、古代人たちもかつてここを通ったんだなぁ」という感慨や古代ロマンやプチ恐怖が味わえる興味深い遺跡でした。『インディージョーンズ』や『三つ目がとおる』が好きな方には一度体験してみることをおすすめします。

写真・文書提供(C)スタジオジンジャー代表 Ginger (HP)

今回もとても貴重な写真とご報告ありがとうございました。2002年の夏の調査では、ここも調査候補地でしたがいかんせん時間がなく訪れることは叶いませんでしたがこうしてレポートを読ませて頂きますと、改めまして面白い場所である事が実感できますね。以前取り上げられた説で、この辺りの当時の豪族「日置氏」に着目した説がありました。日置氏は宗教的な部民で「火を祀る」民だったようです。いわゆる太陽崇拝でしょうが太陽の力が一番衰弱する冬至の時に岩の中へこもらせて再び復活させ永遠の生命を得る。天の岩戸信仰と一緒で「くぐる」という行為に意味があるのだそうです。これが再生を促す古代祭祀信仰だというのですが…。石積みの技法などを見ると朝鮮山城の技法のようにも感じますがこの周辺には、古代何か長が住むような重要な建造物があってその建物通しをつなぐ隠し回廊であったかも知れないですね。(階段があるあたり人が通る意図として造られたものであるとは思うのですが)しかしそれとて一説に過ぎずやはり真偽は謎のままのようです。この遺構は周辺の古墳群や時代背景なども含めて大きな視点で考えなければ解明できないでしょう。ありがとうございました。また宜しくお願いします。(超歴史研 広報部)

● 詳しい地図と解説がここで、紹介されています。 

掲載2003年8月16日 このページの写真、文書は転載禁止


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